D.Fの黒歴史【小学校編】

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僕は幼い頃、そこそこ重たい病気にかかっていて幼稚園・保育園・小学校低学年を病室ですごした。

病院での幼少期の記憶はよく覚えていて、ナースの研修生の人に良く遊んでもらったのを覚えている。

可愛いナースの研修生に囲まれて、抱きかかえられ笑っている僕の写真が未だにアルバムに入っているが今思うと羨ましい限りである(笑)

研修生は実習期間を過ぎると去っていくのでその度に泣きじゃくっていたのも今ではいい思い出だ。

 

さてそんな僕が本格的に小学校に通い始めたのは小学校4年生の時だった。

ずっと在籍していたがなかなか学校に来ない僕は転校生のような扱いを受けて皆が勝手に自分の周りに集まってきていた。

その状態が僕も嫌いでは無かったし少しだけ優越感に浸っていたのかもしれない。

 

半年が過ぎた頃には僕も特に目立たなくなり周りの友達と同じような扱いを受けていた

まだ体は弱かったのでよく女子と遊んでいたが、実はこれが原因で僕はいじめられることになる。

いじめの内容・原因についてはまた別の記事を書く予定な為、今回詳細は書かないがいじめを受けるようになり、みんなに無視されるようになり・・・

 

ここで僕の1個目の黒歴史が発動する

 

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・構ってほしくて嘘をつきまくる!

 

みんなに無視されるのが嫌で嘘をついて、みんなの気を引こうとしたが大失敗

その時ついた嘘は凄く些細なものだが小学生にはいじめのいい餌だった

僕がついた嘘を少しだけ紹介しよう(笑)

 

運動測定の記録(25メートルのタイム・シャトルラン等)をめちゃくちゃ速く・多くできたことにしていた!

この嘘は凄く簡単にばれてしまった。実は運動会の徒競走はこの運動測定のタイムをもとに走る組が決められていたのだ!みんなは知っているかもしれないが4年生まで病院生活の僕は全く知らず、運動会で圧倒的な差をつけられ最下位!

これはかなりいじられた・・・笑

 

デスノートの作成・・・見つかってします・・・

 

これが多分僕の小学生時代、最大の黒歴史である。僕の小学校高学年の時がちょうどデスノートの最盛期だったのだ。(僕の年齢がバレそうな気もするが…笑)

クラスのほとんどの小学生がデスノートの映画を見ていた為もちろんデスノートは皆知っている状態であった。

僕もいじめがかなり悪化して来ていた頃、親に相談も出来ないし、先生に相談してしまったらチクった事で悪化してしまう。

僕はストレスを発散する方法が見つからず、デスノートの作成を決意した。

 

まず大きいノートだと見つかってしまう恐れがあるのでA4の紙を6等分にカットし左端をホチキスで留めて小さなノートを作成した。

次にそのノートの表紙をマジックで黒塗りにし、修正ペンで「デスノート」と書けば完成

 

少しあの頃の自分が可愛いなと思うのはデスノートのスペルが分からずカタカナでデスノートと書いてしまった事である笑

 

デスノートを完成させた僕は自分の事をいじめている数人の名前をノートに書いた

それだけで小学校の僕は満足し、少しだけストレスが発散出来た気がしていた。

そのデスノートを僕は引き出しの隅に入れその日は家に帰った。

 

しかし次の日学校に行くと…

たった1日でデスノートのが見つかってしまった!僕はかなり焦った。まず何故見つかったのかも分かっていなかった。

 

後日分かった事だが僕の引き出しは常習的にいじめっ子軍団にあさられていたのだ。

 

いじめっ子軍団の行動は早かった。

発見したその日の内に職員室に行き「D.F君の引き出しの中に、こんなノートが入っていました。凄く辛いです。いじめじゃないんですか?」と伝えたそうだ。

 

朝一で先生に呼び出され黙秘を続けていたが放課後には親を呼び出され、親と教師どちらからも怒られた。

 

僕はこの日を境に大人に相談をするのをやめた…

 

 

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